雑感 -作る趣味-

研究所勤めを初めて10年ほど経った頃(昭和60年頃)、
趣味はなんですか、
と問われて、答えに窮しました。
”ゴルフ”と答える以外に
なにか話せることの一つもないと格好が悪いなと思い、
すこし悩みました。
でも、この「格好が悪いな」という気持ちが曲者でした。
そして、そんな根性で始めた趣味は長続きしないと気づきました。
なあんだそういうことか、と肩の力の抜けた記憶があります。
早速、記憶の糸をたどりました。
納戸にしまつてあつた大工道具を出し、新品の鋸と鉋を買い揃え、
木工(平たく言えば日曜大工)の世界へ入って行きました。
そうなのです、
子供の頃は友達と遊んでいる以外は
ほとんど一人で何か作っていました。
子供の頃無心に興味を持ったことは
大人になっても無心に続けられるのです。
理屈抜きの趣味論で書き始めましたが、少し理屈を述べてみます。
私自身そもそも、与えられた玩具は半日ともたないで分解し、
すぐ中身を見たくなる性格の子供であったようです。
作ることへの興味は実は壊してその原理を、
その仕組みを理解することへの興味から始まったと思います。
その点、今の子供たちはかわいそうです。
中が見たくても分解できない。
たとえ開いたとしても集積回路が並んでいて
原理なんてわからない玩具ばかりで遊んでいる。
TVゲームしかり、パソコンしかり。
ひょつとすると、壊せない、原理のわからない玩具で
遊ぶようになった世代辺りからもの作りへの興
味が薄れてきたのではないか、とも考えてしまいます。
あえて「創る」と書かないのは、
「作る」という言葉には理屈ではなく
自らの身体を動かして何かを生み出す本能的な技、土の香り、いや、
木の香りを感じるからです。
「創る」はより高尚かも知れませんが、
原点は「作る」にあると思うからです。
もっとも、趣味のもの作りも
時代と共にそのレイヤが上がって行くようで、
真空管ラジオは勿論のこと
トランジスターラジオを作れなくても、
集積回路を使ったパソコンは作れる、
パソコンを作れなくても
ソフトウェアーは作れる、ホームぺ-ジは作れる、等々。
どちらが作る立場で、どちらが使う立場、
なんてつまらないことを気にするなと言われそうです。
とは言え、子育て中は、
ファミコンを楽しむだけよりは
ファミコンを作る人に、
ホームぺ-ジを見るだけよりはホームページを作る人に、
音楽を聴くだけよりは自ら演奏を楽しめる人に、
なってほしいと子供達に期待していました。
オジサン呼ばわりを覚悟の上でぶつぶつ言い続けていたのですが、
私の気持ちをどのくらい理解してくれているかわかりません。
少し大袈裟に産業レベルで考えると、
一億総マネーゲームに走ったかに見える米国でも
新しいプロダクトや産業を生み出して
経済を立て直しているじゃないですか。
インターネットを作りマルチメディアを開花させ、
そこで新しいものを作るための技術を産業化したじゃないですか。
やはり「作る」が原点だと言いたくなります。

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