昔のこと
- 父とみかん 学芸大学 飯島果実店 -
東横線学芸大学駅から西口商店街を50mほど行った左側に小さな果物屋(飯島果実店)があります。その前を通るたびにふと頭をよぎる記憶があります。もう30年前に逝った父との半世紀も昔の記憶です。
今の住居に移り住んだのは私が中学三年の時でした。それまで住んでいた家の周りが商業エリアとなり、すぐ向かいに大きなキャバレーが店を開き、真夜中から早朝にかけて、綺麗な女性たちが「おやすみなさーぃ、またねー」とはしゃぎながら帰っていくようになりました。窓からのぞき見ていた少年の私には、その姿をなにか華やかでちょっと大人の世界を知ったような気になっていました。そんな楽しみも束の間で、教育上良くないということだろうか、引っ越すことになりました。移り住んだ先は、言わば閑静な住宅街です。密かな楽しみは無くなりましたが、勉学には良い環境で、確かに学校の成績は上がり始めました。親の勝ちと言うところでしょうか。
新しい町に住み始めて、しばらくの間は、父の散歩に付き合って家の周辺や駅近くの商店街を歩き回っていました。
ある日、いつものように父に付き合って商店街を歩いていました。駅前で新聞を買って、戻る途中、果物屋の前で立ち止まり、父の物色が始まりました。どうせ持たされるのは私だろうと覚悟していると、店主が「このみかんは甘くて美味しいですよ」と言ってみかんの山を勧めてきました。しばらくその講釈を聴いていましたが、父が突然「ひとつ食べてみていいかい」と言い放ちました。私は、「図々しいおやじだなぁ」と思いながら、ハラハラして聞いていましたが、店主は「旦那さん、どうぞ」と言って山からみかんを一つ取って渡してきました。父はそれを半分に割り、二人で味見となりました。
結局そのみかんを2袋買い求め、私が両手にぶら下げて帰りました。ただ、これだけの記憶です。
その果実店は今でもそのままの姿でお店を続けています。お店の奥には当時の店主がいつもテレビを観ながら店番をしています。なんでもスーパで買う時代になりました。果物もそうです。その果物屋さんでは年に一度程度しか買わなくなりましたが、目利きは当時と変わらず確かなもので、美味しいものしか置いていないようです。
こんなたわいのないことをいつも思い出すのですから人間の記憶って不思議なものですね。私は当時の父の歳を過ぎてとうに十数年がたちますが、未だに果物屋さんの店先で商品を食べさせろと言う度胸はありません。