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むささび工房ブログ

物理学 その根源に横たわる自然への謙虚な姿勢
- 2022ノーベル物理学賞、量子もつれ -

 
物理学
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最近投稿に間が開いているので、つれづれに気の向くままの告白です。

 コロナ禍も慢性化して、なんとなくマスクをはずせない毎日です。夜中の散歩でもマスクしていることに気づいて、習い性とは怖いものと思います。

習い性と言えば、現役時代の仕事柄、私は理屈っぽい方だと思います。と言うよりも理屈が好きなんですね。屁理屈でもいいから理屈がわからないと気持ちが悪い。ちゃんと説明さえしてくれれば理解力はあるのだから、とうぬぼれていました。そんな気持ちに変化が現れました。ちょっと大げさですが、私にとっては新鮮な感覚でした。

 数か月前から、”量子もつれ” という物理現象に興味を持って、YouTubeなどを使ってにわか勉強をしていました。もちろん、物理学は全くの素人です。当然ながらその(量子もつれの)理屈がわからず、誰か説明してくれないかなぁ、と友人たちに話しかけてもだれも相手にしてくれませんでした。謎は解けないままです。そんな中、偶然、今年のノーベル物理学賞が、量子もつれに関するものでした。

そのニュース解説などを見聞きしても傍証ばかりで、量子もつれの原理、理屈はだれも説明していません。

そんな状況で、やっぱりモヤモヤした日々が続いていました。

でも、よくよくその状況を考えていたら、私が、物理学のことを、理論で構築された理詰めの世界だと勝手に勘違いしていることに気づいたのです。

つまり、

 物理学の世界には、理屈なしに現象として認めざるを得ない世界と、そこから出発して理詰めで構築していく世界があり、その理詰めの世界の中にも沢山の推論や仮説があって成り立っているということです。あったり前のことだったのですが、迷路にはまり込んでいたド素人の私にとっては、気持ちの晴れる瞬間でした。

 ちょっと気取って書いてみます。

 近代の物理学は、ニュートンの言った、万物の”根源”とか”根源的な原理”にかなり近づいたと思えていたのですが、実は未だ混沌としていて、沢山の説明のできない”物理現象”を認めるしかない状況いあるのですね。現在の物理学の根源には、「こういうものなんだよ」という出発点がいくつもあることに、今更に気づいたということです。

現役時代には、どちらかというとアルゴリズムや理論の分野で働いてきた自分が、なんでも論理的に説明(納得)できないと気持ちが悪い、すべてに理屈があるはずだ、と思ってきたのは、あさはかな慢心だったということなんです。

 例えば、磁力や重力が空間を超えて物体に影響を与えることを、高名な物理学者でさえだれもその理屈は説明していません。電流の周りに磁界ができるのも論理的な説明を教わったことがありません。どれも物理現象の一つとして認めて、その観測結果に合う関係式を得て、それ以降の演繹的な展開を図っているわけです。その過程には巨人たちの研ぎ澄まされた仮説や推論が繰り返されているとしても、根源には、「観測した物理現象を理屈なしに認める」という自然に対する謙虚な姿勢が横たわっていました。

素人の私が、興味本位で触れた、”量子もつれ”とか量子の”波動性と粒子の両面性”などに納得できる説明を探しても、悶々とするだけだったのは当然で、それらも理屈なしに認めざる得ない物理現象ということだったのです。いくつもの傍証があるものもありますが、それ自身の原理とか理屈のわからないものがたくさんあるようです。

そういう意味では、ここ百年でかなり近づいたと思われた、万物の”根源”は、量子力学の始まりで、実はまたその根源の数が増え始め、さらに混沌としてきているのかも知れないと思います。ある根源と思われるものに理屈がつくときには、その理屈の中には実は理屈のわからない新たな自然現象を含んでいる という具合に、根源と思われるものは減るどころか増えているのではないでしょうか。

私は学生時代に工学分野の教育を受けたのですが、その基礎教育で”不確定性原理”と言うものについて学んだときには、「物体を観測すると、必ず何かの力が外から加えられることになるので、その物体の位置と運動量は同時には確定できない」、と言うような説明でなんとなく理屈がわかったような気がして納得していたのですが、近年の説では、物体の位置と運動量が同時に確定できないことは、観測による外力とは関係なく、それ自身理屈抜きに認めざる得ない物理現象の一つと言う考え方もあるのようです。つまり「想像や理屈ではない実際の事実」ということのようです。

 よわい70を超えてやっとこんなことに新鮮味を持って気づいている今日この頃ですが、学生時代に 知ったかぶり をせずに、この新鮮な感覚で謙虚に自然を見つめていたら、物理学の分野へ進んでいたかもしれないですね。もちろん大成はしなかったと思いますが。

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